大濠公園について

大濠公園は、福岡市の中央に位置し、総面積が約39万8千平方メートルあり、うち約22万6千平方メートルを池が占める全国有数の水景公園です。公園内には、池の周辺約2キロメートルのウォーキング用、ジョギング用・サイクリング用にレーン分けされた道路、野鳥の森、児童遊園、能楽堂、日本庭園、美術館および4つの橋で結ばれた中の島や浮見堂、ボートハウス等が有ります。
現在では、地域の人達から、休養、娯楽や健康の向上に利用されています。
また、海外からの旅行者にとっては、福岡市で最初に訪れたい場所となっています。

むかし探訪館から引用  舞鶴公園・大濠公園全図

  

大濠公園の歴史は、黒田長政が福岡城を建築する慶長6年(1601年)頃、博多湾の入江の一部を福岡城の外濠として利用した時代にさかのぼります。

江戸時代の福岡城とその周辺(当時の大濠公園は、福岡城の堀の一部です。更に堀は那珂川までつないでいます)

明治維新で福岡城が廃城になると、肥前堀が埋め立てられたことにより水の循環が滞り、夏季にはやぶ蚊が大量発生するなど環境悪化の原因になりました。明治末以来この大堀を埋め立てる計画がいくつか立てられました。
また、松永安左衛門が遊園地化案を出しました。
そして、東京帝国大学農学部教授の本多静六教授が大堀の公園化を主張するのと同じころ、福岡市は東亜勧業博覧会の開催を計画しており、県は市の博覧会準備委員会に整備事業の促進を依頼し、公園の整備費を県議会で可決させました。東亜勧業博覧会は、1927年(昭和2年)3月から約2か月開催されました。
後に福岡県が造園し、1929年(昭和4年)3月に公園として開園しました。

終戦後、1966年(昭和41年)3月には、福岡大博覧会(福岡博)の会場として、公園東側を中心に再整備されました。

1980年代には池の水質が悪化し、アオコの発生や悪臭が深刻化しました。1985年、水質改善を求める10万人の署名活動が行われた為、1992年にかけて福岡県により池の浚渫工事が行われることとなりました。池の水を全て抜く作業の過程では、底から複数の焼夷弾が発見されています。

2020年には水草が異常発生し、管理事務所による大規模な刈り取りが行われました。また、イノシシが隣接する舞鶴公園から大濠公園にかけて出没し、騒動となりました。
同じこの年、園内の能楽堂で藤井聡太が王位を獲得しました。

  

  

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